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●● 熱き思い
ポール・ムーニーがコメディという世界に存在していなかったら...
想像するだけでも恐ろしい事である。きっと今のようにアメリカのコメディは繁栄していなかったように思える。
知名度こそあまり無いかもしれないが、彼の影響力はある意味伝説となったリチャード・プライヤーと同じ位だ。そのリチャード・プライヤーの影となりライターとして活躍し、更には90年代にヒットしたウェイアンズ兄弟の「In Living Color」では番組最大のヒットなったキャラクターであるホーミー・ザ・クラウンを製作。更には近年一番ヒットとなった「Chappelle's Show」にも出演して話題をさらっている。
そう彼はコメディの大事な節目節目にしっかりと自分の名前を刻んでいる伝説なのだ。
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●● バイオ
生まれはルイジアナだが、14歳の時にカリフォルニアのオークランドに引っ越したポール・ムーニー。そのオークランドでの高校生の頃からダンスに夢中になり、当時大人気だった番組「バンドスタンド」のサンフランシスコ地方局版「ダンス・パーティ」という番組に唯一黒人のダンサーとして出演もしていた。若い頃はデパート等の仕事をしており、有名プロデューサーであるアーロン・スペリングの後の妻となるキャンディとも一緒に働いていたという。(ムーニーは後にスペリングが製作した「Carter's Army」という映画でデビューしている。)更には、「プレイボーイ」でもコメディアンとしてではなく働いていたという。
この世界へは、サーカスのリングマスターとして入ってきた。後にスタンダップコメディアンに転進した。その頃にジェーン・フォンダやドナルド・サザーランドが参加した「FTA(Free the Army)」というベトナム戦争に反対するツアーにも参加。その頃に私生活でリチャード・プライヤーと知り合いになり、プライヤーのライターとして活動するようになる。当時のプライヤーはまだ28歳位でビル・コスビーの真似をしていて売れていなかった。ムーニーと出会ったプライヤーは活気を取り戻し、大スターへと上り詰める。同時にレッド・フォックスの大人気TVシットコムとなった「Sanford & Son」のライターとして参加するようになった。
そのうちにプライヤーが出演する映画にムーニーも出演するようになったりした。1978年の映画「The Buddy Holly Story/バディ・ホリー・ストーリー」では、R&B歌手のサム・クックを演じた。
80年代はプライヤーの絶頂期を極め、プライヤーの数々のスタンダップライブの手伝いをしたりしていた。90年代に入ると、ウェイアンズ兄弟の「In Living Color」ではデーモン・ウェイアンズが演じたホーミー・ザ・クラウンというキャラクターを作り上げた。そしてデイブ・シャペルの空前の大ヒットとなった「Chappelle's Show」にて自らNegrodamus(ノストラダムスの黒人版)というキャラクターで大ブレークをした。
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●● トリビア & etc...
リチャード・プライヤーやレッド・フォックスという伝説的なコメディアンの裏方のライターとして働いていた。
双子の息子であるダリルとドゥエインは1979年の映画「The Fish That Saved Pittsburgh」に出演している。
アメリカで活躍した日本人コメディアンヌのタマヨはポール・ムーニーのスタンダップコメディのステージを見て、コメディアンになる事を決めた。
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●● 受賞歴
* The BEST OF SOUL
2007 Won Best Comedian of the Year : Paul Mooney: Jesus Is Black |
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●● リンク
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●● インフォサイト
http://www.imdb.com/name/nm0600763/http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Mooney_(comedian) http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=78536 |
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●● 関連商品
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