"Spread love, joy, and peace. That is what I want the world to feel, magic!!"

マイケル・ジャクソン。もはや説明不要の世界的スーパースターだ。多くの人は名前は勿論、彼の楽曲やダンス、生い立ち、そしてスキャンダルまで詳しく知っていることだろう。たった50年という短すぎる生涯だけれど、それでも2時間の映画に収めるのは至難の業だ。それを可能にするには、最近の伝記映画でよく見られる「特定の期間にフォーカスする」手法か、「彼にとって何が大切だったか」を軸にするかの二択になる。これまで多くのマイケル・ジャクソン関連作品が作られてきたが、彼は唯一無二の存在であり、彼を演じ切れる俳優は中々いない。子供時代は過去に『
The Jacksons: An American Dream / 日本未公開 (1992)』でジェイソン・ウィーバーが熱演していたが、特に大人時代のマイケルは、ともすればただの「物真似」になってしまいがちだ。今回抜擢されたのは、マイケルの兄ジャーメイン・ジャクソンの息子、ジャファー・ジャクソンである。演技未経験ながら、叔父のダンスや身のこなしを2年間徹底的に研究したそうだ。監督は、『
Training Day / トレーニング デイ (2001)』などで渋いアクション映画に定評のあるアントワン・フークア。マイケルの父ジョセフ役には、『
Sing Sing / シンシン/SING SING (2023)』などでアカデミー賞に2度ノミネートされたコールマン・ドミンゴ。母キャサリン役には、ベテランのニア・ロングが配された。
1966年インディアナ州ゲイリー。街には雪が降り積もっていて、元気な子供たちはそれでも外で遊んでいた。外で遊ぶ無邪気な子供たちとは一緒に遊べず、狭い家の中で父からダンスと歌の過酷な練習を強要されていたのが、マイケル(ジュリアーノ・クルー・ヴァルディ)と兄のジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロンによる5人兄弟の「ジャクソン5」だ。その中で一番幼いながらリードボーカルを務めるマイケルに、父は特に厳しく接した。やがて彼らは初めてのステージを経てモータウンに見いだされ、順調にスターダムを駆け上がっていく。だが、マイケルの心は常に「真の友人」を求めていた...
正直、観る前からジャネット・ジャクソンの批判や批評家たちの酷評が目に入ってきて、あまり期待はしていなかった。しかし、前評判を鵜呑みにして書くのは違うなと思い、絶対にちゃんと自分の目で確かめてから批判でも称賛でも書こうと決めていた。
映画館に着いた時、音響がすごい爆音なことに気が付いた。うるさいなーと、ちょっと思ってしまった。そして、小さな子供が数人いたようだ。しかし、映画が始まり「Wanna Be Startin’ Somethin’」が流れた瞬間、マイケルの音楽を全身で浴びるような感覚に陥り、心と身体が強く揺さぶられた(実際には身体は動かせないので、脳内でだが)。2時間ずっと、マイケルの音楽に浸ることになる。興味深いことに、曲が始まると子供たちも静かに聞き入り、ドラマパートになると少し退屈そうにする姿が印象的だった。そんな感じで、物語に目新しい驚きはない。展開は分かり切っているので「くるぞ、くるぞ、
きたー、バブルス~~」という感覚だ。キリンも上記した『
The Jacksons: An American Dream / 日本未公開 (1992)』で見た。父ジョセフによる厳しい言葉(何気なく言い放つ大きな鼻とか)や身体的虐待が、いかにマイケルを追い詰め、その人格に影響を与えたかが克明に描かれている。演技面では、幼少期のマイケルを演じたジュリアーノ・クルー・ヴァルディがとにかく魅力的だ。絶対的な悪役となった父ジョセフを演じたコールマン・ドミンゴも安定感抜群で、最後の泡を食った表情は忘れられない。
ジャネットの批判もあり、懸念していたような「スキャンダルの過剰な演出」や「制作陣(兄たち)の意図によるバイアス」も感じられず、驚かされた。本作は終始ブレることなく「マイケル」に終始フォーカスしている。「マイケル」も「ジャクソン」もアメリカでは非常に多い名前であるが、やはり「マイケル」と言えば、マイケル・ジャクソンのことであることが当然で、それが十分に感じられた。硬派な映画を得意とするアントワン・フークアが、マイケルの繊細さをどこまで描けるのか不安だったが、杞憂だった。どうでもいいことだが、私もマイケルと同じ乙女座である。劇中「マイケル、乙女座だなー」と共感する瞬間が多々あった。
冒頭に書いたセリフのように、本作がマイケルが一番大切にしていた「音楽」に重点を置いている点は非常に素晴らしい。マイケルの音楽を全身で浴びること。それこそが、ファンが本作に求める体験なのだ。
映画終わりに、楽しそうに踊りながら帰っていく観客たちの姿が、それを何よりも証明していた。本作は「鑑賞する」というより、「体験する」という言葉がふさわしく、まさにマジカルな体験であった。