3121
Hattie McDaniel / ハティ・マクダニエル Tweet Tumblr
(0)

職業 >> 役者, ミュージシャン
生年月日 >> 06月10日1895年
出生地 >>Wichita, Kansas, USA
忌日 >>1952-10-26 (享年 57 歳)
ニックネーム >>Hi-Hat Hattie
家族 >> Sam McDaniel (Brother ; Actor), Etta McDaniel (Sister ; Actress)
配偶者/パートナー >>George Langford (1922–1922) (his death) Howard Hickman (1938–1938) (divorced) James Lloyd Crawford (1941–1945) (divorced) Larry Williams (1949–1950) (divorced)

 主な映画作品
 主なTV作品

 バイオ
カンザス州ウィチタにて13人兄弟の末っ子として生まれる。父ヘンリーは奴隷だったが、ユニオン側で戦い、その後に牧師となった。家族はコロラドに移住。父はミンストレルを結成。兄のサムなどが参加していた。サムは早くにロサンジェルスに移動して、映画に出演するようになる。ハティは高校2年で中退し、父のミンストレルに参加し出演・脚本などを手伝った。別のミンストレルにも参加。「女バート・ウィリアムス(黒人の有名なエンターテイナー)」を名乗る事もあった。 1922年にはジョージ・ラングフォードと恋に落ち結婚。しかしジョージは結婚して数ヶ月で自殺してしまう。とても落ち込み、ミルウォーキーに移動。そこではホテルのメイドの仕事をしながら、夜はクラブでは歌っていた。 サムやエタなど先にロサンジェルスに行っていた兄弟から誘われ、1931年頃にハティもロサンジェルスに移動。普段は普通の仕事をしながらも、兄のサムが出演していたラジオ番組に出演。ヒットとなった。「ハイ・ハット・ハティ」のニックネームでラジオで人気となる。 しかし30年代の映画界で彼女が出来る役はメイド役であった。丸顔で豊満な体に大きな眼は、ハリウッドが主演女優の望むグラマラスとは程遠かったのだ。しかもハティはもう30代であった。しかし彼女のコミカルな臭覚は持て囃される事になる。 そして1939年、ハティは『風と共に去りぬ』にマミー役で出演する事になる。この役でハティは黒人として初のアカデミー賞受賞者となったのだ。しかしこの式典では、他の『風と共に去りぬ』のキャストメンバーと同じ席に座れる事は許されず、隔離されたテーブルに座っている。 そして40年代に入っても相変わらずメイド役を続ける事になる。ラジオ番組で演じていたビューラがTVシリーズ化されることになる。黒人女性が始めて主役となるTVシリーズとなったのだ。しかし第1次シーズンはエセル・ウォーターズが抜擢されたが、1年で降板。そこで元々のビューラ役だったハティに変更となった。しかし6エピソードを収録した辺りで病気が悪化。これが彼女の遺作となった。 57歳で他界した。

 受賞歴
* Academy Awards, USA
1940 Won Best Actress in a Supporting Role for: Gone with the Wind

* Walk of Fame
unknown - Star on the Walk of Fame Motion Picture At 1719 Vine Street.

 リンク
Not available Not available

 インフォサイト
http://www.imdb.com/name/nm0567408/
http://en.wikipedia.org/wiki/Hattie_McDaniel
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=42306

 関連商品
Buy from Amazon.com Buy from Amazon.co.jp

Last Modified: 2010-01-22
>> HOME