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●● 主な映画作品
●● 主なTV作品
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●● バイオ
カンザス州ウィチタにて13人兄弟の末っ子として生まれる。父ヘンリーは奴隷だったが、ユニオン側で戦い、その後に牧師となった。家族はコロラドに移住。父はミンストレルを結成。兄のサムなどが参加していた。サムは早くにロサンジェルスに移動して、映画に出演するようになる。ハティは高校2年で中退し、父のミンストレルに参加し出演・脚本などを手伝った。別のミンストレルにも参加。「女バート・ウィリアムス(黒人の有名なエンターテイナー)」を名乗る事もあった。
1922年にはジョージ・ラングフォードと恋に落ち結婚。しかしジョージは結婚して数ヶ月で自殺してしまう。とても落ち込み、ミルウォーキーに移動。そこではホテルのメイドの仕事をしながら、夜はクラブでは歌っていた。
サムやエタなど先にロサンジェルスに行っていた兄弟から誘われ、1931年頃にハティもロサンジェルスに移動。普段は普通の仕事をしながらも、兄のサムが出演していたラジオ番組に出演。ヒットとなった。「ハイ・ハット・ハティ」のニックネームでラジオで人気となる。
しかし30年代の映画界で彼女が出来る役はメイド役であった。丸顔で豊満な体に大きな眼は、ハリウッドが主演女優の望むグラマラスとは程遠かったのだ。しかもハティはもう30代であった。しかし彼女のコミカルな臭覚は持て囃される事になる。
そして1939年、ハティは『風と共に去りぬ』にマミー役で出演する事になる。この役でハティは黒人として初のアカデミー賞受賞者となったのだ。しかしこの式典では、他の『風と共に去りぬ』のキャストメンバーと同じ席に座れる事は許されず、隔離されたテーブルに座っている。
そして40年代に入っても相変わらずメイド役を続ける事になる。ラジオ番組で演じていたビューラがTVシリーズ化されることになる。黒人女性が始めて主役となるTVシリーズとなったのだ。しかし第1次シーズンはエセル・ウォーターズが抜擢されたが、1年で降板。そこで元々のビューラ役だったハティに変更となった。しかし6エピソードを収録した辺りで病気が悪化。これが彼女の遺作となった。
57歳で他界した。
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●● 受賞歴
* Academy Awards, USA
1940 Won Best Actress in a Supporting Role for: Gone with the Wind * Walk of Fame unknown - Star on the Walk of Fame Motion Picture At 1719 Vine Street. |
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●● リンク
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●● インフォサイト
http://www.imdb.com/name/nm0567408/http://en.wikipedia.org/wiki/Hattie_McDaniel http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=42306 |
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●● 関連商品
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